当社の歴史は、その基礎を築いた一人の棟梁の活躍に始まります。
明治43年、兵庫県香寺町に生まれた神崎文次は建設業を志し、棟梁としてその一歩を踏み出しました。当時21歳の文次は、難工事といわれた山陰本線餘部鉄橋の鉄橋組立作業に従事します。その後、鉄道、軍需関係の取引を拡大し、総合建設業神崎組を創業するのでした。
時に日清・日露戦争によって軍事色が濃くなった時代、軍都となった姫路には数多くの軍事施設が建設され、神崎組もまた多くの工事に従事しました。
時代の流れに添い、造船や紡績産業との繋がりを深め、昭和18年株式会社神崎組を設立するに至りました。「神崎組の生みの親は鉄道と陸軍、育ての親は紡績と造船」、当社の語り草となっております。
和暦(西暦) | 沿革 | 時代背景 |
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明治22年 | 創業者神崎文次が兵庫県香寺町にて出生 | |
明治43年 | 神崎文次が山陰本線餘部鉄橋建設作業に従事 餘部鉄橋(明治44年6月完成) |
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明治44年 |
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大正3年 |
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大正8年 | 総合建設業神崎組創業 姫路城西の丸を修復 |
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大正12年 |
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昭和3年 |
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昭和4年 |
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昭和6年 |
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昭和7年 |
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昭和8年 | 敦賀出張所開設 | |
昭和11年 | 岩国出張所開設 | |
昭和12年 |
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昭和14年 | 東京店、大阪店開設 |
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昭和16年 |
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昭和18年 | 株式会社神崎組設立 |
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昭和20年 |
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空爆、敗戦によって焦土化した日本に求められたのは住宅でした。兵庫県から復興住宅建設業者として指定を受けた当社は、多数の復興住宅や連合軍宿舎を建設することになります。また、姫路城の「昭和の大修理」事業に参画するなど、幅広く公共分野へ進出しました。姫路市を代表するモニュメントを数多く手がけたのもこの時期です。
戦時中は低迷していた民間産業も、終戦を迎え活況を帯びてきます。当時のアジアは深刻な衣料不足に悩まされており、紡績工場の復興が何よりも待ち望まれたのです。大規模な設備投資を行う紡績産業からの受注を背景に、当社は営業拠点を広げるなど全国展開へと歩み出しました。戦災で焼失した本社社屋も昭和34年に落成を迎え、戦後の混乱期を乗り越えました。
和暦(西暦) | 沿革 | 時代背景 |
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昭和21年 | 神戸出張所開設 | |
昭和22年 |
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昭和25年 |
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昭和26年 | 姫路城迎賓館竣工 |
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昭和27年 | 淡路出張所開設 |
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昭和28年 | 資本金2250万円に増資 |
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昭和30年 |
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昭和31年 | 太平洋戦全国戦災都市 |
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昭和33年 | 姫路球場(現ウインク球場)竣工 |
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昭和34年 | 名古屋出張所開設 姫路城昭和の大修理(天守閣基礎設定工事)竣工 本社社屋落成 資本金5000万円に増資 |
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昭和34年 |
名古山霊園姫路仏舎利塔 竣工 |
「東洋の奇跡」と称された経済成長によって日本国内が好景気に沸き、様々な産業界において設備投資がなされるようになりました。また、個人の自動車保有台数が急速に伸びた時代でもございます。
姫路市では、姫路城昭和の大修理の完成を記念し姫路大博覧会が開催されます。当社は、メイン会場となる手柄山中央公園を中心にテーマ塔を手がけるなど、数多くの施設の建設を担当しました。
当社としましては、取締役社長が神崎吾明に替わり、東京と大阪に支店ビルを建設、福岡に出張所を開設するなど基盤を整えてまいりました。
和暦(西暦) | 沿革 | 時代背景 |
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昭和38年 | 資本金2億8,000万円に増資 | |
昭和39年 |
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昭和40年 | 神崎文次が取締役会長に、神崎吾明が取締役社長に就任 |
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昭和41年 | 東京支店社屋 落成 | |
手柄山テーマ塔 竣工 |
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昭和43年 | 大阪支店社屋 落成 |
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昭和44年 |
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昭和45年 | 新幹線高架橋阿保工区施工 |
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昭和46年 | 資本金5億円に増資 |
オイルショックにより一転して不景気となった日本国内、建設産業も不況感が顕著にみられるようになりました。しかし、政府の景気対策などの後押し(所謂、日本列島改造論)により景気は好転してまいります。
人は利便性と快適性を求めるようになり、高速道路や新幹線そして住宅など資本ストックの拡充が図られていきました。当社も時代の流れを見据え、国土整備の一翼を担ってまいりました。
時代が昭和から平成へと移り変わる頃、日本はバブル景気を迎えておりました。レジャー産業を中心に再開発事業も活性化するなか、三代目社長となった神崎文一郎は、請負人としての初代の意志を忠実に守り過剰な投資活動を行わず堅実な事業活動を行ってまいりました
和暦(西暦) | 沿革 | 時代背景 |
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昭和48年 | 宅地建物取引業法による宅地建物取引業許可を取得 |
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昭和53年 | 神崎文一郎が取締役社長に就任 | |
昭和54年 |
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昭和55年 | 名古山隧道を建設 |
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昭和60年 |
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昭和62年 |
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平成元年 |
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平成3年 |
安室ダム 竣工(共同企業体施工) |
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平成5年 |
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建設業界は、多くの課題を突きつけられました。幾度となく見舞われた自然災害は多くの命と大事な資産を奪いました。我々は、改めて建物の安全性、利用なさる人々へ安心をお届けする責任を痛感しました。
そして世間を震撼させた偽装事件、建設業界に対する信頼を根底から失墜させるものであり、我々は、安全な社会資本の整備を担う者としての社会的責任を再確認しました。
当社におきましては、激変する社会情勢、環境に即応するべく組織を再編、品質向上への取り組みとしてISO9001の取得、コンプライアンス体制を構築するなど事業活動を見直してまいりました。
平成24年8月、神崎文一郎が取締役会長に、神崎文吾が取締役社長に就任しました。時代の流れとともにお客様のニーズも多様に変化しますが、安心して長期間安全にご利用できる構築物をこれからも追求していきたいと考えております。
和暦(西暦) | 沿革 | 時代背景 |
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平成6年 | 奥多々良木発電所を建設(共同企業体施工) |
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平成7年 |
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平成9年 |
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平成11年 | ISO9001取得 | |
平成18年 |
姫路市初のPFI事業に参画 |
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平成19年 |
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平成21年 |
姫路城平成の大修理事業に参画(共同企業体施工) |
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平成23年 |
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平成24年 | 神崎文一郎が取締役会長に、神崎文吾が取締役社長に就任 | |
平成26年 |
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平成27年 | 平成の大修理竣工
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